まえに進む為に

今週におばぁちゃんが亡くなりました。

なので、年賀状はいらないし、送れません。



亡くなった朝から、納棺から、通夜から、葬儀まで、一通り喪主の姿(父親)を見ながら、すごい勉強になりました。

まず、念仏さんなるもの。ご詠歌ですね。私達が極楽浄土に行くときににはもう無くなるであろう素晴らしき文化。

段取りの仕方、はたまた、仏壇の話。お墓の話。すごい勉強になりました。思えば、おばぁちゃんが老人ホームへ行って10年。長い年月です。
少なからず、そのおばあちゃんの姿を見て、ヘルパーの資格を取ろうと思ったきっかけにもなったし、年配の方々と面と向かって世間話できる様な人間になったのも、今のおばぁちゃんのおかげであり。
ただ思うのは

東京のパチンコ屋でバイトした際に、客のお年寄りに向けての気持ちがひんまがってしまったが、見事に整えられたきっかけを作ったのもおばぁちゃんだと思います。




通夜や、葬儀では、酒を飲む機会が多いと思うのだけれど、私は進んで皆さんにお酌しました。
『喪主の長男です』
と、知らない人にも、和尚さんにも、親戚のおじちゃん、おばちゃん、おばあちゃん、おじいちゃんに。

ハトコのお兄さんがいるんのだけれど、そのお兄さんの奥さんからコップが空になってすぐ来るから、ホストの様だと言われるぐらい、気を使った。
こうやって褒めて頂けるのは、前職場の経験からだろうなと思います。




そんな中で


葬儀での素敵な出会いもありました。

おじぃちゃんの弟夫婦。
その夫婦は上品で遠慮はしなくて。

夫婦そろって本当に仲良くて、旦那さん奥さんと共に膝が悪く、アグラもかけなくて、奥さんの方はリウマチの為、箸が握れなくて、旦那さんは耳が遠い。
お互いが本当に支え合っていて。羨ましくて。ずっとそばにいたい。酒田は良いところだとアピールしたい。と思う。(北海道の方)


その
旦那さんから、戦争の話を聞いて。
旦那さんが言うには
『特攻隊に志願して、今でも生きている』
との事で
それについて、奥さんは
『そこで運が尽きて、こんなアタシと出会ったのよ』
なんて
ロマンチックだし。

その夫婦は北海道の方なので(以前の記事でサッポロビールの限定品のビールの記事をUPしたが、この夫婦から頂いていたのを葬儀で知った)
酒田まで電車で12時間かかったらしく。そんな体で本当に来ていただいてありがたいと思っていた。

旦那さんにお酌に行ったら、普段は酒を辞めているのに快く飲んでくれて、隣に座れと言っていただいた。奥さんが間に入り、三人で酒田の日本酒を飲み。奥さんが
『これからも末長く宜しく』
と旦那さんにお酌していた。
旦那さんは
『末は短いけどな』
と言っていた。

孫がいないらしく、私の年代の人間と話すのが嬉しいと言っていた。

私は、このブログで酒田の本間家の話、土門拳の話をUPしましたが、ここぞとばかりに酒田の話をした。火葬場に行く途中のバスでは土門拳の写真の話、土門拳の生い立ち、酒田大火の話、黒森歌舞伎の話、黒森納豆の話、初孫と菊勇が黒森で作られている話、松林は本間家が植えた話、その松林でもタラノメが取れる話。周りで聞いている人間がビビル程酒田の話、郷土料理、山菜話を熱弁したし、おもしろがって聞いていただき、葬式なのにうれしかったです。

また、告別式の後には佐藤家の親戚で飲み明かした。

家の親親戚は本当に仲が良い。
私が小さい頃からです。
なので、一緒に飲めるのは久しぶりの友人と飲むぐらい話は尽きなく、楽しい。
最近はそれぞれ孫も出来、皆、定年を迎え、酒を飲まないようにしている人が多いが、今回はみなさん無礼講だった。

何年か前に親戚のおじさん連中と父親にマージャンを挑み、コテンパンにやられた。

私が警察に捕まった時は親戚中に知れ渡り、励ましの手紙を頂いたり、
怒られた。皆さんに頭を下げにアイサツした。


親戚の皆さんで飲んでる席で私は、本当に仲が良いなと感心して、葬式なのに嬉しかったです。
その席で、親戚の皆さんに
『俺がおじさん達ぐらいの歳になって、親戚の集まりがある時には、今ぐらいに仲の良い親戚になります』
と公言しました。
親戚の皆さんは拍手してくれました。


おばぁちゃんの葬儀があり、私は26歳。今年で27歳。

おばあちゃんのおかげで
素敵な出会いも頂いて、自分を見つめ直せたし、
自分の人生の矛先の角度がまた変わったし、



地元でも、いろんな勉強出来るんだと思うし、地元でしかできない勉強もあると思います。
俺は、今回の葬儀で『自分の人生の矛先の角度が変わった』と言いましたが、すごく良い角度へ行っていると思います。

最初から、最後まで、祖母に感謝したいと思います。



と、今日は記事が臭くなったが、


これで以上。




tyao